top of page

露天商・香具師 - 「回想録」 高村光太郎

 祖父は小さい時からその父親の面倒をみて、お湯へでも何処へでも背負って行ったと言う。商売の方は魚屋のようなものだったらしいが、すっかり零落し、清島町の裏町に住んで、大道でいろいろな物を売る商売をして病気の父親を養った。紙を細かく折り畳んだ細工でさまざまな形に変化する「文福茶釜」とか「河豚の水鉄砲」とか、様々工夫をしたものを売った。そんな商売をするには、てきやの仲間に入らなければならぬ。それで香具師の群に投じ花又組に入った。そのことは、父の「光雲自伝」の中には話すのを避けて飛ばしているが、――そうして祖父は一方の親分になった。祖父は体躯は小さかったが、声が莫迦に大きく、怒鳴ると皆が慴伏した。中島兼吉と言い、後に兼松と改めたが、「小兼さん」と呼ばれていて、小兼さんと言えば浅草では偉いものだったらしい。





Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page