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ひょうたん池 - 「東京市騒擾中の釣」 石井研堂 1906(明治39)年12月

 六日の夜は、流言の如く、又焼打の騒ぎあり、翌七日には、市内全く無警察の象を現はしけるが、浅草公園の池にては、咎むる者の無きを機とし、鯉釣大繁昌との報を得たり。釣道の記念に、一見せざるべからずとなし、昼飯後直ちに、入谷光月町を通り、十二階下より、公園第六区の池の端に、漫歩遊観を試みたり。

 到り観れば、話しに勝る大繁昌にて、池の周囲には、立錐の余地だに無く、黒山の人垣を築けり。常には、見世物場の間に散在して営業する所の「引懸釣」、それさへ見物人は、店内に充溢するに、増して、昨日一昨日までは礫一つ打つことならざしり泉水の、尺余の鯉を、思ふまゝに釣り勝ち取り勝ちし得べき、公開?釣堀と変りたることなれは、数百の釣手、数千の見物の、蟻集麕至せしも、素より無理ならぬことにて、たゞ、盛なりといふべき光景なるに呆れたり。



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