今戸橋・山谷掘・本龍院(待乳山聖天) - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日
- 浅草文庫
- 2018年9月30日
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わたしたちは天狗坂を下りて今戸橋をわたるとしよう。馬鹿広い幅の、青銅いろの欄干をもったその橋のうえをそういってもとき/″\しか人は通らない。白い服を着た巡査がただ退屈そうに立っている。どうみても東海道は戸塚あたりの安気な医者の住居位にしかみえない沢村宗十郎君の文化住宅(窓にすだれをかけたのがよけいそう思わせるのである)を横にみてそのまま八幡さまのほうへ入っても、見覚えの古い土蔵、忍び返しをもった黒い塀、鰻屋のかどの柳――そうしたものの匂わしい影はどこにもささない。――そこには、バラックの、そばやのまえにも氷屋のまえにも、産婆のうちのまえにも、葵だの、コスモスだの、孔雀草だのがいまだにまだ震災直後のわびしさをいたずらに美しく咲きみだれている……

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