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浅草の食・今戸橋・山谷掘 - 「幕末維新懐古談 名高かった店などの印象」 高村光雲 1929(昭和4)年1月

 山の宿を出ると山谷堀……越えると浅草町で江戸一番の八百善がある。その先は重箱、鯰のスッポン煮が名代で、その頃、赤い土鍋をコグ縄で結わえてぶら下げて行くと、 「重箱の帰りか、しゃれているぜ」などいったもの。


 花川戸から、ずっと、もう一つ河岸の横町が聖天町、それを抜けると待乳山です。 「待乳沈んで、梢乗り込む今戸橋」などいったもの、河岸へ出ると向うに竹屋の渡し船があって、隅田川の流れを隔て墨堤の桜が見える。山谷堀を渡ると、今戸で焼き物の小屋が煙を揚げている。戸沢弁次という陶工が有名であった。  山谷堀には有明楼、大吉、川口、花屋などという意気筋な茶屋が多く、この辺一帯江戸末期の特殊な空気が漂っていました。





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