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吾妻橋 - 「柳営秘録かつえ蔵」 国枝史郎 1926(大正15)年1月5日-15日

 浅草の夜は更けていた。馬道二丁目の辻から出て、吾妻橋の方へ行く者があった。子供かと思えば大人に見え、大人かと思えば子供に見える、変に気味の悪い人間であった。

 と一人の侍が、吾妻橋の方からやって来た。深編笠を冠っていた。憂いありそうに俯向いていた。まさに二人は擦れ違おうとした。 「待て」と侍は声を掛けた。 「何でえ」と小男は足を止めた。 「連れはないか? 女の連れは?」 「いらざるお世話だ、こん畜生」




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吾妻橋・関東大震災 - 「棺桶の花嫁」 海野十三 1937(昭和12)年1-3月

所は焼け落ちた吾妻橋の上だった。  まるで轢死人の両断した胴中の切れ目と切れ目の間を臓腑がねじれ会いながら橋渡しをしているとでもいいたいほど不様な橋の有様だった。十三日目を迎えたけれど、この不様な有様にはさして変りもなく、只その橋桁の上に狭い板が二本ずっと渡してあって、その上を

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