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奥山・伝法院・見世物 - 「​諸国の玩具 --浅草奥山の草分--」 淡島寒月 1909(明治42)年6月

更新日:2018年9月19日

 奥山見世物の開山は椿岳で、明治四、五年の頃、伝法院の庭で、土州山内容堂公の持っていられた眼鏡で、普仏戦争の五十枚続きの油画を覗かしたのでした。看板は油絵で椿岳が描いたのでして、確かその内三枚ばかり、今でも下岡蓮杖さんが持っています。その覗眼鏡の中でナポレオン三世が、ローマのバチカンに行く行列があったのを覚えています。その外廓は、こう軍艦の形にして、船の側の穴の処に眼鏡を填めたので、容堂公のを模して足らないのを駒形の眼鏡屋が磨りました。而して軍艦の上に、西郷吉之助と署名して、南洲翁が横額に「万国一覧」と書いたのです。父はああいう奇人で、儲ける考えもなかったのですが、この興行が当時の事ですから、大評判で三千円という利益があった。




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