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奥山 - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

 藪入と閻魔とは正月と盆とに年二度の物日である。この日奉公人は主家より一日の暇を与えられて、己がじし思う方に遊び暮らすのである。かれらの多くはこの安息日を或は芝居に、或は寄席に、そのほか浅草の六区奥山、上野にも行けば、芝浦にも赴き、どこということなしに遊びまわって、再び主家の閾を跨ぐ時には本来空の無一物、財布の底をはたいても鐚一文出て来ぬのを惜しみも悔みもせず、半歳の勤労に酬いられた所得を、日の出から日の入りまでに綺麗さっぱりにしてしまって、寧ろ宵越しの銭を残さぬ清廉、上方の人に言わしたら「阿呆やなァ」と嗤うかも知れぬが、この心持ち恐らくは江戸ッ児以外に知るものはあるまい。




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浅草田圃・奥山・見世物 - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

見世物小屋のある方へ行って、招牌を見て歩きます。竹の梯子に抜身の刀を幾段も横に渡したのに、綺麗な娘の上るのや、水芸でしょう、上下を著た人が、拍子木でそこらを打つと、どこからでも水の高く上るのがあります。犬や猿の芸をするのもあったようです。尤も一々這入ったのではありません。中の見

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