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寄席 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 「ちんやの横町」のいま「聚楽」というカフェエのあるところは「新恵比寿亭」という寄席のもとあったところである。古い煉瓦づくりの建物と古風なあげ行灯との不思議な取合せをおもい起すのと、十一、二の時分たった一度そこで「白井権八」のうつし絵をみた記憶をもっているのとの外にはその寄席について語るべき何ものもわたしはもっていない。なぜなら、そこは、わたしが覚えて古い浪花ぶしの定席だったから。――その時分わたしは、落語も講釈も義太夫も、すべてそうしたものの分らない低俗な手合のみの止むをえず聞くものを浪花ぶしだとおもっていた。そう思ってあたまでわたしは馬鹿にしていた。――ということはいまでも決してそうでないとはいわない……(ついでながらわたしの始終好きでかよった寄席は「並木亭」と「大金亭」だった。ともに並木通りにあって色もの専門だった。――色もの以外、講釈だの浄瑠璃だのへはごくまれにしか足ぶみしなかったわたしは、だから吾妻橋のそばの「東橋亭」、雷門の近くにあった「山広亭」「恵比寿亭」そうした寄席にこれという特別の親しさをもっていなかった。――が「山広亭」、「恵比寿亭」とおなじく、いまはもう「大金亭」も「並木亭」もうちよせた「時代」の波のかげに、いつとなくすがたを消した。残っているのは「東橋亭」だけである。)




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