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浅草六区・寄席 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 「奴さんは立派な芸人ですからね。下らない素人の芸人が跋扈している現在の舞台がいやなんですよ。素人の漫才が偉そうにしているのにムカついているんですな。――いや、奴さんの気持はわかる」

 朝野はギョロリと私の顔を睨んで、――(この素人作家め! と、それは言っているようだった。)


「あの人は(と、何か語調を改め)漫才なんかやる人じゃないんで、――いつかも僕にこう言ってた。高座に一人で出て、大勢のお客さんを相手にして負けないのが、これが芸人で、二人出てやる漫才屋なんか芸人じゃない。こう言って、――漫才屋になった自分はもう芸人でなくなったと笑ってたが、もとは寄席に出ていたんですね。それが、例の、もう随分前の話だが、寄席の没落で、仕方なく漫才屋に転向、――転落というのかな。森家惚団治のところへ入って、森家惚太郎ということになったんだが、この惚団治がやはり寄席の没落で漫才屋に転向したんで、もとは落語家でさな。――惚太郎君は(朝野はいろいろと言い方を変えた。)大体は清元の人で、――お母さんは延寿さんのところの名取だったそうですがね。三味線は子供の時から習わされて、年季を入れているんですね。お父さんというのは、相当に大きな請負師だったそうで、だから、もとは何かかたぎの商売でもやっていたんでしょうが、それがどうして芸人になったのか。そこンところは知らないが、芸が身を助ける不仕合わせ、――といったところでしょうな。おい、おばさん、注いでくれ」

 朝野はコップをたちまち空にしていた。





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