top of page

日本堤 - 「柳営秘録かつえ蔵」 国枝史郎 1926(大正15)年1月5日-15日

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年9月28日
  • 読了時間: 1分

 それは夕立の雨後の月が、傾きかけている深夜であった。新吉原の土手八丁、そこを二人の若い男女が、手を引き合って走っていた。  と、行手から編笠姿、懐手をした侍が、俯向きながら歩いて来た。擦れ違った一刹那、 「待て!」と侍は忍び音に呼んだ。 「ひえッ」と云うと男女の者は、泥濘へペタペタと膝をついた。 「どうぞお見遁し下さいまし」  こう云ったのは男であった。見れば女は手を合わせていた。

 じっと見下ろした侍は、 「これ、其方達は駈落だな」  こう云いながらジリリと寄った。陰森たる声であった。一味の殺気が籠もっていた。 「は、はい、深い事情があって」  男の声は顫えていた。 「うむ、そうか、駈落か。……楽しいだろうな。嬉しいだろう」  それは狂気染みた声であった。




最新記事

すべて表示
日本堤 - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

今まで噂に聞いた道々を、毎日車で通います。野菜市場の混雑を過ぎ、大橋を渡って真直に行けば南組の妓楼の辺になりますが、横へ曲って、天王様のお社の辺を行きます。貧民窟といわれた通新町を過ぎ、吉原堤にかかりますと、土手際に索麺屋があって、一面に掛け連ねた索麺が布晒しのように風に靡いて

 
 

Comments


Commenting on this post isn't available anymore. Contact the site owner for more info.
bottom of page