日本堤 - 「柳営秘録かつえ蔵」 国枝史郎 1926(大正15)年1月5日-15日
- 浅草文庫
- 2018年9月28日
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それは夕立の雨後の月が、傾きかけている深夜であった。新吉原の土手八丁、そこを二人の若い男女が、手を引き合って走っていた。
と、行手から編笠姿、懐手をした侍が、俯向きながら歩いて来た。擦れ違った一刹那、
「待て!」と侍は忍び音に呼んだ。
「ひえッ」と云うと男女の者は、泥濘へペタペタと膝をついた。
「どうぞお見遁し下さいまし」
こう云ったのは男であった。見れば女は手を合わせていた。
じっと見下ろした侍は、 「これ、其方達は駈落だな」 こう云いながらジリリと寄った。陰森たる声であった。一味の殺気が籠もっていた。 「は、はい、深い事情があって」 男の声は顫えていた。 「うむ、そうか、駈落か。……楽しいだろうな。嬉しいだろう」 それは狂気染みた声であった。

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