top of page

浅草六区・凌雲閣(浅草十二階) - 「浅草の賑ひ」『キング』昭和6年新年号附録「明治大正昭和大絵巻」 挿絵・小村雪岱 1931(昭和6)年

 大衆の歓樂境である浅草公園は、昔も今も變らぬ盛り場であった。見世物小屋立並ぶ六区は勿論、仲見世通りから馬道に至る間、暑さ寒さのきらひなく、朝早くから夜更け迄、人波打って流れてゐた。當時の浅草公園は今日のように活動常設館こそなけれ、吹矢楊弓店など軒をならべ、玉乗り、人形芝居、女軽業、ジオラマ、花屋敷、さては富士山という遊場迄あって、民衆の絶好の樂天地であった。殊に此年、英人バルトンの設計にかかる通稱十二階で通った、總煉瓦造り高さ三十六間といふ見事な凌雲閣が當時五萬五千圓といふ莫大な金をかけて建てられるや忽ち浅草名物否日本名物の一ツとなつて素晴らしい人氣を呼び、彌が上にも浅草は賑はした。だが、惜しい事に此名物も、震災のため今は跡かたもなくなって仕舞った。






Comentarios


Los comentarios se han desactivado.
bottom of page