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浅草六区・ひょうたん池 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 上に藤棚のある、瓢箪池の橋の上に、私たちは佇んでいた。――嶺美佐子と私とは映画館街を、瓢箪池に面したK劇場の前まで来て、急にまるで言い合わしたように、そして二人とも揃って何か逃れるような足どりで、その前から直角に、暗い瓢箪池の方へそそくさと逸れたのであった。


 ――なぜ逸れたか。私の方は、――私の小柳雅子は(人よ、いい気なものだと私を笑うなら、笑え!)K劇場にいるのである。だからである。――もし私がその場合ひとりだったら、私の足は劇場のなかに当然のような恰好で吸い込まれていたに違いない。いつだっても、K劇場の前まで来たら、もうおしまいなのである。それは私自身の愚かな、いや、単に愚かなと言ったのでは充分でない、なんとも手のつけられない、なんともはや言いようのないほど愚かな、そんな愚かさの慕情のせいなのだが、何か私には、外部的な、抵抗できない、眼に見えない暴力が私の上に襲って来て、ぐいと私をK劇場のなかに押し込む感じである。そうした暴力を、そのときは美佐子が側にいたために、私はえいと受けとめる思わぬ力を持ち得た。ところが、その力のこれまた思わぬ反動で、私はK劇場と反対の垂直の方向にえいと弾き飛ばされたというのが、私が逃れるようにして瓢箪池へ逸れたことの真相を伝えるようである。ああなんたる、くだくだしい言い方だ。もっと直截的に言うことができぬものか。そうみずから思うものの、私にはどうもできないから、読者の寛容を乞うより致し方ない。





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