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浅草六区・国際劇場・松竹歌劇団 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 国際通りへ出ると、折から国際劇場の松竹少女歌劇の昼の部が撥ねたところらしく、そのお客らしい華やかな少女の群が舗道をいっぱいに埋めて、田原町の方へと流れて行く。浅草的な雰囲気とちがったものをあざやかに私たちに感じさせつつ、その絢爛たる流れは、まっすぐ、田原町の電車、バス、地下鉄の停車場へと流れて行くのだ。


 松竹少女歌劇は、浅草で巣立ったものであり、今も浅草にある国際劇場でやっているのだが、その現在のお客は、何か浅草に嫌悪と軽蔑の、そして幾分恐怖の背を向けて、――そのように、停車場と国際劇場の間を直線的に、さっさと脇目もふらずに往復していて、六区の方へ一向にそれようとせず、足を踏み入れようとはしないのである。地下鉄田原町の出口に「国際劇場は、まっすぐにお出で下さい」と書いてあるが、全くその通り、まっすぐお出でになって、まっすぐお帰りになる。そうした颯爽とした流れに対して、かねて私は、どうしたものか、――つまり私は若いお客さんたちが六区の方へそれて金をおとして行くのを期待している、たとえば食堂の主人でもなければ、またたとえば若い女性向きのものを売っている小間物屋さんと関係があるものでもないのだが、――何か自信のつよい人間に対して感じるのに似た焦燥と腹立ちを掻き立てられていたが、そのとき、いうならば、香水の匂いのする自信といったものに、私たち、――おお、なんとあらゆることに自信のない私たちよ。自信のないことを誇りにしているような、それほど、ほかに誇りのない私たちは、すっかり気圧されて、車道の方に、はみ出たのであったが、おしゃべりの朝野としては、ここでまた一言なかるべからざるところで、彼は、――いや、物語のテンポを早くしようと言った口の、まだ乾かぬうちに、この始末では困る。先を急ごう。





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