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浅草六区 - 「私のこと」 木村荘八 1949(昭和24)年2月20日

 ぼくは中学を卒業してからは浅草の店で、暫く店で帳場などをやつてゐました。しかし日夜いひ知れない憂悶を抱いてゐました。それは何か自分もやつて見たいからで、家兄の木村荘太がその頃ほひ雑誌新思潮を通して小山内さんや谷崎さん達と文学運動をやつてゐたことは、勿論身近い刺激なりお手本になつたわけです。


 ぼくはそこで、見やう見真似に、帳場格子の中で辞書を引き引き兄キの書架から持出した英語のモウパッサンの短篇集であるとか、ゴルキーの小説などを読んだものです。一日に一度はそれをやらないと何か胸元から空気でも洩るやうなとりとめのない気がして、「勉強」のつもりでやりました。しかし一方にはまた、ぼくは帳場ですから、頭を丸角に苅つて、木綿結城の竪縞に黒の前かけなんかしめてゐます。そのなりで、一日に二三円は使つていゝことになつてゐるその帳場の金を掴んでは、夜になると、浅草公園を六区の十二階下から吉原あたりまでぞめきに歩きます。無論何でも知つてゐます。




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