見世物 - 「乞はない乞食」 添田唖蝉坊 1930(昭和5)年10月
- 浅草文庫
- 2018年10月15日
- 読了時間: 2分
時代遅れの風琴を鳴らす老人――。痩せた五十ぐらいの、ボロマントを着てゐる。彼はいつも区役所通りの下総屋の前の電柱の根ッこにあぐらをかいてゐた。そして古風琴の蛇腹を伸ばしたり、縮めたりしながら、唄をうたふのであるが、そのうたひ方が頗る人を食ったものだ。
「オレは河原の枯れすすき、コリャ」
などと掛声を入れてうたってゐる。彼は帽子を二つ持ってゐる。一つは鳥打、これは冠ってゐる。一つはベチャベチャな学帽。これは膝の前に置いてある。これは銭受である。この中へ銭を投げ込む者があると、彼はうたひながら軽く頭を下げて謝意を表す。
但し投げ込まれた物が白い色をしてゐると、彼はわざわざ風琴の手をやめて、冠ってゐる鳥打を脱いで、下の学帽に頭が届くまで最敬礼をする。彼はまたなかなかしゃれ者である。顔に綺麗に剃刀を当ててゐる時が多い。
「山路越へて、ひとりゆけど……」
賛美歌をうたってゐる時もある。かと思ふとまた、
「猪牙でエエエエ、セッセ」
などと「深川」をやる。
寒い風が吹き募って、人があまり通らない時でも、彼はひとりで風を見ながら、風琴を鳴らしてうたひ続けてゐる。彼は淋しさうだ。しかしまたいかにも嬉しさうに唄ってゐるやうでもある。
人を小バカにしてゐるところもあるが、私にはナンダカ彼こそほんとうの淋しみを知り、ほんとうの喜びを知ってゐる男のやうに思へた。が、彼はやがて浅草に姿を見せなくなった。どこをどうしてゐるのか。
私には、ときどき思ひ出せて仕方のない、風琴と老人なのである。

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