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浅草の食 - 「浅草の喰べもの」 久保田万太郎 1948(昭和23)年10月

更新日:2018年10月3日

 奥の万盛庵は藪系統の蕎麦をくはせるうちである。だが、池の端の万盛庵は、蕎麦屋といふよりも、むしろ、蕎麦を看板にした小料理屋である。山吹も、また、蕎麦といふよりも、こゝは饂飩を看板にした小料理屋である。

 松邑といつても今のものは三四年まへまであつたものゝ謂ではない。以前の松邑は、公園裏の道路改正とともに商売をやめ、今のは、山谷の葉茶屋の主人が、松邑の名を惜むのあまり、半ば道楽にやつてゐるのである。

 梅園よりも秋茂登のはうが花柳界をもち地元のものを多く客に持つてゐる。といふことは、秋茂登よりも梅園のはうが堅気の客が多いといふことになる。秋茂登の主人はわたしと同じ小学校出身である。



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