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パンの会 - 「パンの会の回想」 木下杢太郎 1926(大正15)年12月2日

 パンの会も此時最高潮に達したのであつた。その後段々と衰へた。

(その時代の空気を示す為めに一寸追記する。十一月廿六日、神田青柳にて古書即売会。北斎絵本東遊、六円五十銭。吉原青楼年中行事、四十五円。駿河舞、五円。西鶴好色一代男、三冊、百円。元禄十六年板(?)松の葉、帙入美本、十四円。哥麿七変人、三枚百円。豊広浮絵、五円。

 見物一浮世絵を見ながら連れの人に曰ふのには「あの似顔なざあ、子供のおもちやになつてたのでさあねえ。」 黒田清輝のまだ盛に活飛した時代で、白馬会には其「荒苑斜陽」など出た。)


 明治四十四年(一九一一)にはパンの会は段々落寞なものになつてしまつた。  二月の十二日には浅草のヨカロウで開き、そこのかみさんが演説などした。


 同年六月五日、月。神田の新しく出来た(都とか云つた)西洋料理屋でパンの会を催した。この日には内田魯庵氏も出席せられた。ドストウエフスキイの事、甎のことなどに就いて語られたと記されてある。小山内君がどこかで酔つて来て大元気であつた。生田、島村、喜熨斗、平出、萱野の諸氏が御定連でない出席であつた。黒田、島崎両氏からはしやんと断りの葉書が来た、この二人はいつもきちやうめんだと皆で話し合つた。




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