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今戸橋・山谷堀・隅田川・大川・隅田川の渡し・吉原遊郭(新吉原) - 「水の東京」 幸田露伴 1902(明治35)年2月

 竹屋の渡場は牛の御前祠の下流一町ばかりのところより今戸に渡る渡場にして、吾妻橋より上流の渡船場中最もよく人の知れるところなり。船に乗りて渡ること半途にして眼を放てば、晴れたる日は川上遠く筑波を望むべく、右に長堤を見て、左に橋場今戸より待乳山を見るべし。もしそれ秋の夕なんど天の一方に富士を見る時は、まことにこの渡の風景一刻千金ともいひつべく、画人等の動もすればこの渡を画題とするも無理ならずと思はる。


 渡船の著するところに一渠の北西に入るあるは山谷堀にして、その幅甚だ濶からずといへども直に日本堤の下に至るをもて、往時は吉原通をなす遊冶郎等のいはゆる猪牙船を乗り込ませしところにして、「待乳沈んで梢のりこむ今戸橋、土手の相傘、片身がはりの夕時雨、君をおもへば、あはぬむかしの細布」の唱歌のいひ起しは、正しくはこの渠のことをいへるなり。今もなほ南岸の人家に往時の船宿のおもかげ少しは残れるがなきにあらず。



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