凌雲閣(浅草十二階) - 「押絵と旅する男」 江戸川乱歩 1929(昭和4)年6月
- 浅草文庫
- 2018年9月25日
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更新日:2018年10月3日
それからと申すもの、兄はこの眼鏡の中の美しい娘が忘れられず、極々内気なひとでしたから、古風な恋わずらいをわずらい始めたのでございます。今のお人はお笑いなさるかも知れませんが、その頃の人間は、誠におっとりしたものでして、行きずりに一目見た女を恋して、わずらいついた男なども多かった時代でございますからね。云うまでもなく、兄はそんなご飯もろくろくたべられない様な、衰えた身体を引きずって、又その娘が観音様の境内を通りかかることもあろうかと悲しい空頼みから、毎日毎日、勤めの様に、十二階に昇っては、眼鏡を覗いていた訳でございます。恋というものは、不思議なものでございますね。

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