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関東大震災・吉原遊郭(新吉原)・凌雲閣(浅草十二階) - 「生い立ちの記」 小山清 1954(昭和29)年10月1日

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年10月6日
  • 読了時間: 1分

 震災の当日、その時びっくりして戸外に飛び出した私の目に、八階から上が折れてなくなった、浅草公園の十二階の無慙な姿が映った。私の家は吉原遊廓のはずれにあって、家の前の広場からは、浅草公園の十二階がよく見えた。

 その日、私の一家はみんなばらばらになった。私と花やという女中が上野の山に逃げ、母と兄は向島に逃げ、祖母と父は吉原の池の際に居残って命拾いをした。最初に逸速く自分から花やを促して逃げ、親兄弟を置去りにしたのは私であった。花やは天理教の信者で、神仏を尊崇する念が厚く、自分の衣類などはそのままにして、神棚や仏壇のものを大風呂敷にして背中にしょいこんで逃げた。




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