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向島 - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

 歌書には井出の玉川をその随一とするよう記されてはあるが、さて今はさる名所も探ぬるに影さえ残らず、あわれ名所の花一つを旧蹟もなくして果てようとしたを向島なる百花園の主人、故事をたずね、旧記をあさって、此処彼処からあつめきた山吹幾株、園のよき地を択りに択って、移し植えたるが一両年この方大分に古びもつき、新しく江戸の名所をここに悌だけでも留め得た。七重八重花羞かしき乙女の風流をも解し得ざった昔の御大将はともあれ、今の都人士にその雅懐を同じゅうしてこの花をここに訪ぬるは知らず幾人であろう。宵越しの銭を使わぬ江戸ッ児が黄金色の花を愛するなど柄にないことと罵りたもう前に、一度は行きて賞したまえや。




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「浅草とは?」 - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

向島に住んだ頃は、浅草へ行くというのが何よりの楽しみでしたけれど、歩いて行く時は、水戸様の前から吾妻橋を渡って、馬道を通って観音様の境内へ入るので、かなりの道なのです。でなければ渡しを渡って花川戸へ出て、待乳山を越して、横手から観音様へ這入ります。母や祖母と出ると時間もかかりま

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