奥山 - 「諸国の玩具 --浅草奥山の草分--」 淡島寒月 1909(明治42)年6月
- 浅草文庫
- 2018年9月16日
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奇人連中の寄合ですから、その頃随分面白い遊びをやったもので、山門で茶の湯をやったり、志道軒の持っていた木製の男根が伝っていたものですから、志道軒のやったように、辻講釈をやろうなどの議があったが、これはやらなかった。また椿岳は油絵なども描いた人で、明治初年の大ハイカラでした。それから面白いのは、父がゴム枕を持っていたのを、仮名垣魯文さんが欲しがって、例の覗眼鏡の軍艦の下を張る反古がなかった処、魯文さんが自分の草稿一屑籠持って来て、その代りに欲しがっていたゴム枕を父があげた事を覚えています。ツマリ当時の奇人連中は、京伝馬琴の一面、下っては種彦というような人の、耽奇の趣味を体得した人であったので、観音堂の傍で耳の垢取りをやろうというので、道具などを作った話もあります。本郷玉川の水茶屋をしていた鵜飼三二さんなどもこの仲間で、玉川の三二さんは、活きた字引といわれ、後には得能さんの顧問役のようになって、毎日友人の間を歴訪して遊んでいました。

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