本龍院(待乳山聖天) - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日
- 浅草文庫
- 2018年9月30日
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読者よ、わずかな間でいい、わたしと一緒に待乳山へ上っていただきたい。 そこに、まずわたしたちは、かつてのあの「額堂」のかげの失われたのを淋しく見出すであろう。つぎに、わたしたちは、本堂のうしろの、銀杏だの、椎だの、槙だののひよわい若木のむれにまじって、ありし日の大きな木の、劫火に焦げたままのあさましいその肌を日にさらし、雨にうたせているのを心細く見出すであろう。そうしてつぎに……いや、それよりも、そうした木立の間から山谷堀の方をみるのがいい。――むかしながらの、お歯黒のように澱んだ古い掘割の水のいろ。――が、それにつづいた慶養寺の墓地を越して、つつぬけに、そのまま遠く、折からの曇った空の下に千住のガスタンクのはる/″\うち霞んでみえるむなしさをわたしたちは何とみたらいいだろう?――眼を遮るものといってはただ、その慶養寺の境内の不思議に焼け残った小さな鐘楼と、もえ立つような色の銀杏の梢と、工事をいそいでいる山谷堀小学校の建築塔と……強いていってそれだけである。

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