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浅草寺(浅草観音)・本龍院(待乳山聖天) - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

 岸へ上った辺は花川戸といいました。少し行くと浅草聖天町です。待乳山の曲りくねった坂を登った上に聖天様の社があって、桜の木の下に碑があります。また狭い坂を下りると間もなく、観音様の横手の門へ出ます。

 その辺にはお数珠屋が並んでいたようです。まず第一にお参りをしようとお母様にいわれて、十八間というお堂へ上ります。大勢の人々に毎日踏まれて、板敷はすっかり減っています。御本尊の安置してある辺は暗くて、灯が沢山附けてはありますが、真黒な格子の奥なのですから、ただ金色に輝いているだけで、はっきりとは分りません。広い畳敷の上に坐って、頭を垂れて念じ入っている人たちがあります。一間丸位の大太鼓があって、坊さんが附いているのはどんな時に打つのでしょう。格子の前の長さ一丈余もある賽銭箱へ、絶間もなくばらばら落ちるお賽銭は雨の降るようです。赤い大提灯の差渡し六、七尺、丈は一丈余もあるのが下っています。「魚がし」と書いてあったようでした。梁に掛けてある額には、頼政の鵺退治だとか、一つ家の鬼女だとかがあります。立派な馬の額にも、定めし由緒があるのでしょう。濡らして打ちつけたらしい紙礫が、額の面一面に附いていました。太い円柱に弁慶の指の跡というのがあって、そこへ指を当てて見る人もありました。安産のお守を受けたり、御神籤を引いている人もあります。御賓頭盧の前で、老人がその肩や膝を撫でては自分のその処をさすることを繰返しています。その木像は頭の形はもとより、目も鼻も口も分らず、ただすべすべしているのは、どれだけの人にさすられたのでしょう。それに涎掛などのしてあるのは妙な恰好です。


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