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本龍院(待乳山聖天) - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

 正月は三ヶ日が江戸ッ児の最も真面目なるべき時だ。かれらは元日の黎明に若水汲んで含嗽し、衣を改めて芝浦、愛宕山、九段、上野、待乳山などに初日の出を拝し、帰来屠蘇雑煮餅を祝うて、更に恵方詣をなす、亀戸天神、深川八幡、日枝神社、湯島天神、神田明神などはその主なるものである。




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本龍院(待乳山聖天) - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

二十六夜の月待ちは、鬼ひしぐ弁慶も稚児姿の若ければ恋におちて、上使の席に苦しい思いの種子を蒔く、若木の蕾は誘う風さえあれば何時でも綻びるものよ、須磨寺の夜は知らずもあれ、この夜芝浦、愛宕山、九段上、駿河台、上野は桜ヶ岡、待乳山、洲崎なんど、いずれ月見には恰好の場所に宵より待ちあ

浅草寺(浅草観音)・本龍院(待乳山聖天) - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

岸へ上った辺は花川戸といいました。少し行くと浅草聖天町です。待乳山の曲りくねった坂を登った上に聖天様の社があって、桜の木の下に碑があります。また狭い坂を下りると間もなく、観音様の横手の門へ出ます。  その辺にはお数珠屋が並んでいたようです。まず第一にお参りをしようとお母様にいわ

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