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「浅草とは?」 - 「モンアサクサ」 坂口安吾 1948(昭和23)年1月25日

 戦争中の浅草は、ともかく、私の輸血路であった。つまり、酒がのめたのである。

 「染太郎」というオコノミ焼が根城であったが、今銀座へ越している「さんとも」というフグ料理、これは大井広介のオトクイの家、それから吉原へのして、「菊屋」と「串平」、酔いつぶれて帰れなくなると、吉原へ泊るという、あのころは便利であった。

 あのころ「現代文学」の同人会は染太郎でやるのが例で、ともかく、戦禍で浅草が焼ける半年前ぐらいまでは、なんとか酔えた。そのうちに三軒廻って一軒しか酒がなかったり、何軒廻っても一滴もありつけないようなことになり、そのうち、焼けてしまった。串平は一家全滅したそうだ。この店では、久保田万太郎氏や武田麟太郎氏などがよく飲んでいた。


 飲むためにはずいぶん通い、終戦後も染太郎が復活したので飲みにでかけることはあったが、もっぱら飲む一方で、そのほかの浅草を殆ど知らないのである。





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