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「浅草とは?」 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 二人ともしばらく黙って突き立っていた。するうちえたいのしれない焦燥が私のうちに燻りはじめ、美佐子のうちにもひとしく何か焦燥が燻り出したらしいのが私に感ぜられた。美佐子が突然、突っかかるように言った。

「倉橋さんは、なんで浅草をブラブラしてんの?」

「――さあ」正面切って説明するのが億劫だったので、言葉を濁した。

「ネタ取り?」

「そうじゃない」

 これは、はっきり言った。

「じゃ、なアに」

「――浅草が面白いからさ」つい、出まかせを言った。すると美佐子は顔をしかめた。暗いなかでもはっきりとわかるしかめ方であった。そしてきびしい調子で、おたくは猟奇の気持で浅草をブラついているのかと言った。――猟奇という言葉を初め耳にした時、私はそれとわからないで、え? と首をかしげたが、あ、そうかと気づくと、珍しい言葉にめぐり合った感じが微笑を呼び、黙って微笑していた。美佐子は靴先をコツコツと鳴らしながら、

「但馬は猟奇趣味で浅草を見る人を、とても嫌っていたわ」と言った。

 但馬はと美佐子が言うのが、いかにも私には唐突の感じだったので、「ふーん。但馬さんがね」と私は言った。(その後、しばしばそうした唐突さに会っているうちに、私は慣れて、唐突を感じなくなったが、それと共に、美佐子のそうした唐突さは、彼女の心のうちに、何かというと但馬が入ってくる、知らないうちに彼女のなかに但馬が坐っている、そうしたことから来ているものと知らされた。)

「ええ、但馬はそういう人を、とても憎んでいたわ」

 美佐子は彼女も但馬と同じ気持らしいのを語調に出してズケズケ言った。

「――但馬がもし浅草にいて、おたくに会って、おたくの猟奇趣味を知ったら、きっとカンカンに怒ったに違いない」

 そう言われて、私はあわてた。私はいわゆる猟奇的な気持で浅草へ来ているのではないと、そこで弁解したが、しかし――浅草のアパートに部屋を借りたのは、仕事をするためという理由を立てているが、浅草を見る私の眼には幾分猟奇的なものがないと言えない。それだけに、そう言われると、浅草へ来はじめてからすでに半年経った現在、何か半分だけ自分が浅草の内部の人間のような気持になっている私として、但馬が浅草を猟奇的に見る外部の人間に対して憤怒と憎悪を持つというその気持は、私にわからないではなかった。だが私は、わからないような顔をして、美佐子に、どうして但馬さんは怒るのかと訊いた。但馬という人物に、私はとみに何か興味を覚えさせられた。見当のついている、但馬の怒るわけよりも、そうして美佐子から但馬の人柄を聞き出したい気持だった。


 美佐子の返事は曖昧で、不満足なものだった。曖昧さはうまく言えないところから来ていた。うまく言えないで苛立ち、苛立つと余計うまく言えなくなるのだったが意味はわかった。意味はわかっても、但馬の人物を知ろうとした私の想いは満足させられなかった。


 こっちが真剣に生きているその生活を、はたから何か興味的な眼で覗かれては、肚が立つのも当然ではないか。約めればそういう意味だったが、それをうまく言えないことが、何か不機嫌な美佐子をいよいよ不機嫌にした。





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