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「浅草とは?」 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 ――私は朝野に、仕事がうまく行かないと言った。すると、朝野はわが意を得たりといった顔で、

「浅草の空気は僕らにはいかんです」

 僕らというのに特に力を入れて、断乎として、何か噛み付くみたいに言った。

「浅草は人間をぐうたらにさせて、いかんです。――浅草では、ふうッとしていても、生きて行かれますからね。こいつが、いかん」私の浅草生活が本格的になることは感心できないと朝野が言った意味がわかった。「――僕がいい例ですよ。全くもって、いい例だ。浅草に毒された、浅草の空気にすっかり台なしにされたいい見本ですわ」


 朝野は煙草のやにで黒くなった汚い歯をむき出して笑った。――朝野は以前いい小説を書いていたが、この数年何も発表しなくなった。(いや、その都度ちがう変名で雑文を書いて、それで生活していた。それも最低生活費を稼ぐだけで、それ以上何も書こうとしなかった。)そうしたことを朝野は、(私には真偽のほどはわからないが)浅草に移り住んで、浅草のなかに沈没したせいにした。そうして、朝野は人間を無気力にさせる浅草を呪いながら、浅草から離れようとしなかった。





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