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「浅草とは?」 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 場面は、――綴り方の女生徒のおとッつぁんのブリキ屋の職人が、大晦日だというのに親方から金が払って貰えず、一文無しで正月を迎えねばならない。人のいいおとッつぁんは家へ帰って家族と顔を合わせると、苦痛に狂ったようになって暴れ回る。そうした場面になったが、ドタバタ騒ぎの場面にひきかえ、シーンと静まり返っている客席の雰囲気に、私は、おや? と思った。丸の内で見たときは、ここで丸の内の客たちがドッと笑ったのである。たとえば、かけ取りの苦労も経験もないサラリーマンとか、一文無しになっても寝て待っていれば親もとから金を送って貰える学生とか、江東の長屋など生れてから見たこともないにちがいない金利生活者とか、そういった丸の内の客は大晦日の悲劇を見てワッハッハと笑ったのである。さよう、かく言う私もいくらか笑ったのだが、ブリキ屋のおとッつぁんに扮した役者の狂乱的演技はいくらか喜劇的でもあったのだ、だがそのおかしさに、浅草の客は決して笑わないのであった。笑わないどころか、見ると、私の前の、何かの職人のおかみさんらしいのが、すすけた髪のほつれ毛が顔にかかるのにかまわず肩掛けで眼を拭っているのである。あちこちから啜り泣きが聞える。

(おお、浅草よ。)

 私は感動に胸を締めつけられながら、浅草というものに、――その実体はわからない、漠然としたものだが、浅草というものに、手をさしのべたかった。さしのべていた。

(やっぱり浅草だ。)

 思わずそう心の中でつぶやいた。何か宙に浮いたような、宙で空しくもがいているような私を救ってくれるのは、浅草だ、やはり浅草に来てよかった、そんな気がしみじみとした。私は泣きたかった。うれしいのだ。――泣いていた。だが、それは浅草の客と一緒に映画に泣いていたのだ。私は浅草というものに対して涙を流したかったのだ。





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