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「浅草とは?」・浅草の食 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 たとえば学校の小使部屋などによくある大きな火鉢、――特に小使部屋などというのは、あまり上等でない火鉢を想像して貰いたいからであるが、その上に大きな真黒なテカテカ光った鉄板を載せたものの周りを、いずれも一目見てこれもあまり上等の芸人でないと知れる男女が、もっとも女はその場に一人しかいなかったが、ぐるりと眼白押しに取り巻いて、めいめい勝手にお好み焼を焼いていた。


 大体その「風流お好み焼――惚太郎」の家に出入する客は、惚太郎が公園の寄席の芸人である関係から、芸人が多く、そしていつも定った顔触れの、それもあまり多数ではない常連ばかりだったから、私は一回り顔を見知っていたが、その日の客は初めて見る顔ばかりであった。何か惨めな生活の垢といったものをしみ込ませたような燻んだ、しなびた、生気のない顔ばかりで、まるでヘットそのものを食うみたいな、豚の油でギロギロのお好み焼を食っていながら、てんで油気のない顔が揃っていた。そしてその顔の下に、へんにどぎついあさましい色彩の、いかにも棚曝しの安物らしいヘラヘラのネクタイやワイシャツをつけていて、それらは、それらの持主の人間までを棚曝しの安物のように見せるのにみごとに役立つのであった。――さよう、こうした私の書き振りは、その人々を見た時の私の眼に蔑みと反感が浮んでいたかのように、読者に伝えるかもしれないが、事実はまさに反対なのである。私の眼には、――その人々を見るとたちまち私のうちに湧き上ってきた、なんとも言えない親愛の情、なごやかな心の休い、それらのもたらした感動がありありと光っていたに違いないのである。





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