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「浅草とは?」・浅草の食・浅草六区 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 最後までふみとどまった「大盛館」の江川の玉乗、「清遊館」の浪花踊り、「野見」の撃剣……それらもついにすがたを消したあとはみたり聞いたりのうえでの「古い浅草」はどこにももう見出せなくなった。(公園のいまの活動写真街に立って十年まえ二十年まえの「電気館」だの「珍世界」だの「加藤鬼月」だの「松井源水」だの「猿茶屋」だのを決してもうわたしは思い出さないのである。「十二階」の記憶さえ日にうすれて来た。無理に思い出した所でそれは感情の「手品」にすぎない。)

 飲んだり食ったりのうえでも、「八百善」「大金」のなくなった今日(「富士横町」の「うし料理」のならびにあるいまの「大金」を以前のものの後身とみるのはあまりにもさびしい)わずかに「金田」があるばかりである。外に「松邑」(途中でよし代は変ったにしても)と「秋茂登」があるだけである。かつての「五けん茶屋」の「万梅」「大金」を除いたあとの三げん、「松島」は震災ずっと以前すでに昔日のおもかげを失った、「草津」「一直」はただその尨躯を擁するだけのことである。――が、たった一つの、それだけがたのみのその「金田」にして「新しい浅草」におもねるけぶりのこのごろ漸く感じられて来たことをどうしよう……




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