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「浅草とは?」・浅草六区 - 「モンアサクサ」 坂口安吾 1948(昭和23)年1月25日

 やっぱり、芸の身の入れ方が足りなかったのだろうと思う。モンパルナスやモンマルトルは、ある意味では、落伍者の街で、浅草も亦、落伍者の街であるが、浅草には落伍者の誇りがない。それだけモンパルナスやモンマルトルよりも低いのである。


 つまり、浅草は、たゞドサ廻りの悲哀のような、落伍者的情緒にすがっているだけで、落伍者を誇り、世にみとめられざる我が万能をやむような骨がない。それだけ、彼らが、芸一途にすがっていない証拠である。本来二流三流に甘んじて、悲哀の情緒をふるさとにしているだけなのである。


 落伍者の背後に一流の矜持が隠されているようになれば、浅草はおのずから復興する。淀橋太郎とか有吉光也とかみんな素質ある脚本家であり、森川信なども野心満々たる男であるから、新風に野心を凝らし、一流を志すようになれば、新生面はひらかれてくる筈である。


 彼らに一流の矜持があれば、浅草は又、面白いところで、彼らのドサ廻りの恋愛談などケタ外れの歴史を秘めている各々一流の曲者なのであるから、人生の幅に於て欠けるところはない。ただ足りないものは、落伍者の一流の誇りである。





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