「浅草とは?」・見世物・鳩・関東大震災 - 「野人生計事」 芥川龍之介 1924(大正13)年1月
- 浅草文庫
- 2018年9月13日
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更新日:2018年10月3日
浅草といふ言葉は複雑である。たとへば芝とか麻布とかいふ言葉は一つの観念を与へるのに過ぎない。しかし浅草といふ言葉は少くとも僕には三通りの観念を与へる言葉である。
第一に浅草といひさへすれば僕の目の前に現れるのは大きい丹塗りの伽藍である。或はあの伽藍を中心にした五重塔や仁王門である。これは今度の震災にも幸と無事に焼残つた。今ごろは丹塗りの堂の前にも明るい銀杏の黄葉の中に、不相変鳩が何十羽も大まはりに輪を描いてゐることであらう。
第二に僕の思ひ出すのは池のまはりの見世物小屋である。これは悉く焼野原になつた。
第三に見える浅草はつつましい下町の一部である。花川戸、山谷、駒形、蔵前――その外何処でも差支へない。唯雨上りの瓦屋根だの、火のともらない御神燈だの、花の凋んだ朝顔の鉢だのに「浅草」の作者久保田万太郎君を感じられさへすれば好いのである。これも亦今度の大地震は一望の焦土に変らせてしまつた。
この三通りの浅草のうち、僕のもう少し低徊したいのは、第二の浅草、――活動写真やメリイ・ゴウ・ランドの小屋の軒を並べてゐた浅草である。

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