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浅草の食・仲見世 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年9月30日
  • 読了時間: 1分

 その後、「万梅」は、公園の中「花やしき」の近くに越して、そのころ「仲見世」に勢力を張っていた牛屋の「常盤」がそのあとをうけついだ。そうして「奥の常盤」という名称で営業をつづけた。……といっても、それは、そうした事業家らしい料簡の、そのなつかしいおもてつきの一部の改築して簡易な食堂をこしらえたり、湯滝をはじめたり、花壇を設備したりした。そうしていままでより広い世界の客をさそおうとした。――とくに「奥の常盤」と呼んだのは、それ以外、「雷門の常盤」だの「中の常盤」だのというおなじ店のいろ/\そこに存在したからである。

 それほどさかった「常盤」もだん/\その影がうすくなった。どの店のおもてにも秋風がふいてすぎた。――そうしたとき、その「奥の常盤」を、ありがたちのまま引うけたのがいまの「大増」である。――そのうちもその以前「今半」のならびにもう一けん店をもっていた。そうしてそれは地震まえまで残っていた。――だからかつては「奥の大増」と、とくにやっぱりそこをそう呼んだのである……


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