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浅草の食 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 みたり聞いたりするものの場合ばかりにとどまらない、飲んだり食ったりの場合にして矢っ張そうである。わたしをしてかぞえしめよ。「下総屋」と「舟和」とはすでにこれをいった。「すし清」である。「大黒屋」である。「三角」である。「野口バア」である。鰻屋の「つるや」である。支那料理の「来々軒」「五十番」である。ややこうじて「今半」である。「鳥鍋」である。「魚がし料理」である。「常盤」である。「中清」である。――それらはただ手がるに、安く、手っとり早く、そうして器用に見恰好よく、一人でもよけいに客を引く……出来るだけ短い時間に出来るだけ多くの客をむかえようとする店々である。それ以外の何ものも希望しない店々である。無駄と、手数と、落ちつきと、親しさと、信仰とをもたない店々である。――つまりそれが「新しい浅草」の精神である……




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