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浅草の食 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 ――「ビフテキ」、お好み焼の「ビフテキ」である。その「ビフテキ」というような、ただ油をひいて焼くだけでなく、焼きながらその上に順次、蜜、酒、胡椒、味の素、ソースの類いを巧みに注ぎかけねばならぬところの、ちょっと複雑な操作を必要とするものは、私は美佐子に調理を頼んだ。「ひとつ、願いましょうかな」というような言葉で頼むのだが、それは、焼き方が難しいから未熟な私の手に若干負えないせいもあるけど、美佐子が側で何か手ぐすねをひいて、まかされるのを狙っている風だったからもある。そうした、明らさまに感ぜられる希望、――というより欲望を無視して、自分で洒蛙洒蛙と焼くというようなことは、ちょっとできがたい私の性分である。だが知らるる通り、お好み焼の面白さというのは、自分の手で焼くところにあって、食うだけでは、面白さ楽しさのほとんど大半が失われると言っていい。私はそれを忍んで、美佐子にまかせる。それは美佐子にも通じるにちがいないから、そのことは何やら美佐子の甘心を買うごとき形になるのである。私は自分のうちに、美佐子の甘心を買わねばならぬ必要を、どこにも見出すことができなかったが、――そうした、それは、前述のような私の性分からもあるが、美佐子が調理を狙っているのは、そうしてお好み焼の大半の楽しみを楽しみたいとか、または調理の妙技を示したいとかいった浮いた気持からだけではないように私には窺えたからである。男のために、おいしい料理を作って食べさせてやりたい。そういった心の奥にひめられた家庭生活への憧れ、男につくすことへの女らしい渇き、そうした哀しさが私に窺えたからであった。――もしかすると、私の窺ったそうした哀しさを、美佐子自身は気づいてないかも知れなかった。美佐子は、表面では、難しいから代って焼いてあげましょうといった顔をしていたが、勝気な彼女のことだから自分でもあるいはそのつもりでいるのかもしれなかった。





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