浅草の食 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月
- 浅草文庫
- 2018年10月25日
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――地下鉄横町に「ボン・ジュール」という、浅草には珍しい銀座風の感じの喫茶店がある。
銀座風の、――そういえば、銀座風の喫茶店はいわゆる浅草の内部には入り込めないでその外側の、いわばその皮膚のような地下鉄横町、国際通りといったところに、あたかも皮癬のように、はびこっている。
そうした点から言うと、地下鉄横町は、浅草における銀座的な通りであるが、――そうだ。思い出がある。今から何年くらい前だろう。鮎子が私と別れて、S映画の女優をやっていた時分、同じ撮影所の女優と一緒に銀座通りを歩いているのに私は会って、三人で、なんとなく浅草へ遊びに来たことがある。そしてこの地下鉄横町の銀座的な喫茶店に入ったことがある。冬であった。――そこを出て、地下鉄の方へ行きかけると、派手な恰好をした二人の女優が、ふと足をとめて、何か小声で話し出した。ひそひそと相談をしている風で、眼をチラチラと側の荒物屋の店先に放っている。
「なアに? どうしたの」私は振り返って言った。
「いえね、この人がね」
と鮎子が、――鼻のツンと高い、そのせいか、取りすました感じの、そして何か陶器のような固い感じの顔をしたもう一人の女優を顧みて言った。
「――この人がね、湯たんぽを買おうかしらと言うんで……」
「湯たんぽ?」
取りすました女優さんと湯たんぽ。
すこぶる異様な感じであった。――見ると、荒物屋の店先に、卵形の湯たんぽが、これもちょっと異様な感じで、いくつかつながって、つりさがっていた。
銀座通りで、女優さんが、湯たんぽを買う気をおこすだろうか。その横町は浅草における銀座的な通りとはいえ、やっぱり銀座ではないのだった。

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