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浅草の食 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 私は映画館街の暗い裏手を歩いていた。そして明るい公園劇場の前に出ると、


特別提供

 熊鍋

 ○○動物園払下げの熊


 デカデカと貼り出したそんな奇怪なビラが私の眼に映った。「動物園払下げ?」これはうれしいとビラに惹かれて入る客もあるのだろうが、――あるから、そんなビラを誇示しているのだろうが、私は、動物園の狭い檻のなかで物倦げに、だが物悲しい執拗さで堂々回りしている、あの毛も擦り切れ、老いさらばえた、薄汚いだけに哀れもひとしおの熊を脳裏に浮べると、それを食うなどとは、――たとえ脅迫されてもできそうもなかった。可哀そうだというだけでなく、――そんな熊の肉を想像するだに胸が悪くなる。だが、世にはそれに舌鼓を打つ悪食家もあるのだ。私も悪食にかけては、そうヒケを取らぬつもりでいたが、これは……。

(いや、待て、俺もひとつ食って、――脆弱な神経を叩き直してくれようか。)

 何か逞しくなれる秘法が、そこに隠されているような気もした。いやなのを我慢して食うと、神経が強靱になり、強靱で逞しい小説が書けるかもしれない、そんな気がしてきた。


 そこはいわゆる大衆的な牛鍋屋で、夏頃、その横を通ると、いかにも田舎から出てきたばかりというのを丸出しにした女が、裏で枝豆を切っているのを、よく見かけた。赤いふくれた指を窮屈そうに鋏に入れて、地面に堆高く積んだ枝豆を、味気なさそうなのろのろした手付でポツンポツンと切っていて、表から店の女たちの派手な嬌声が聞えてくるたびに、その方に羨しそうな顔を向けていた。あたしも早く裏働きから店へ出して貰いたいわ、そんな顔が私の頭に残った。

(あの女も今では店に出ているかな。)

 暖簾に顔を近づけるが早いか、

「いらっしゃい」

 飛びかからんばかりの、――さすが熊鍋を食わすだけあって、全くもって猛獣のような女たちの声に、私は度胆を抜かれて飛びのいた。すなわち私は脆弱な神経を叩き直すことができなかった。





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