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浅草の食 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 ――私の手もとに明治四十年発行の東京市編纂「東京案内」という本があるが(この明治四十年というのは、私の生れた年なので、この本には特別の感情が持たれるのだが)浅草区のところに、公園の地図が入っている。見ると、それに出ている大きな食いもの屋は大方今日も残っているのだが(たとえば田原町の鰻の「やっこ」、広小路の牛肉の「ちんや」、天婦羅の「天定」、仲見世の汁粉の「梅園」、馬道の鳥の「金田」、花屋敷裏の料亭「一直」、千束町に入って「草津」、牛肉の「米久」等。)興行方面となると内容はもとより名前もほとんど変っている。


 これで見ても、食いもの屋の一種の凄さがわかる。須田町食堂が花屋敷を買収するというのも、食いもの屋の凄さのひとつの現われにすぎないであろう。





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