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浅草の食・屋台・夜店 - 「夜店ばなし」 久保田万太郎 1931(昭和6)年7月

 すしや、天麩羅や、おでんや、とむかしのそこのすさまじいけしきをそのまゝ、いまでも浅草の夜店は食物やで埋つてゐる。そしていまは、その鮨や、天麩羅や、おでんやの中に、支那蕎麦が入り、一品洋食が交り、やきとりが割込んでゐる。……といつたら、あるひは人は、やきとりはむかしからある、さういつてわたしをわらふかも知れない。が、以前のそれは、たとへば源水横町の金物屋の角に、目じるしの行燈をつけ、提燈屋だの炭屋だのをその環境にもちつゝ、ほそ/″\と、ぢいさんばアさんで七輪の火を熾してゐた底のしがない店の所産だつた。いまのそれは、支那蕎麦、一品洋食とゝもに、すし、天麩羅、おでんの屋台の古風に、飽くまで強情に、色の褪めた紺のれんをうち廻すに対し、このはうは、哀しくも滑稽な時代相を語るかに、天竺もめんの白い、うす汚れたカーテンを後生大事にどの屋台もが下げてゐる……さうした店からの所産である。やきとりやは、だから、あきらかに、形態的に進化した。

 が、そのけしきは、どつちにしても……色の褪めたのれんにしても、うす汚れたカーテンにしても、所詮は夜更のものである。更けてはじめて生きてくるけしきである。……といふことはその味も、あるひはすしにしても支那蕎麦にしても、あるひは天麩羅にしても一品洋食にしても、あるひはおでんにしてもやきとりにしても、所詮は夜更のものである。更けてはじめて生きてくる味である。……そこに夜店の……といつたゞけでいけなければ、夜あかしの、さうした喰物やのうきくさの果敢ないいのちは潜んでゐる。




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