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浅草の食 - 「浅草の喰べもの」 久保田万太郎 1948(昭和23)年10月

 金田は、同じ鳥屋ながら、料理は拵へず、鍋で喰はせるばかりのうちである。先代の主人は黙阿弥と親交のあつた人だつたさうだが、さういふ人の経営したところだけ、間どりもよし、掃除もつねに行届き、女中も十四五から十七八どまりの、始終襷をかけた、愛想のいゝ、小気のきいたものばかりを揃へてある。諸事、器用で、手綺麗なのが、われ/\には心もちがいゝ。――使ふしなものも、われ/\のみたところでは、人形町の玉秀、大根河根の初音、池の端の鳥栄とゝもに、きび/\したいゝものを使つてゐる。  たゞ、残念なことに、こゝのうち、功成り、名とげて、近いうちに商売をやめるといふうはさがある。もしそのうはさが真実ならば、われ/\は、あつたら浅草の名物を一つ失ふわけである。われ/\はそのうはさの真実にならないことを祈つてゐる。




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