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浅草の食 - 「浅草の喰べもの」 久保田万太郎 1948(昭和23)年10月

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年10月1日
  • 読了時間: 1分

 前川といふと、われ/\は子供の時分の印象で、今でも、落ちついた、おつとりした、古風な鰻屋だといふことが感じられる。だが、このごろでは、以前ほどの気魄はすでに持合はさないやうである。時代は、浅草のうなぎやとして、こゝよりも田原町のやつこのはうを多くみとめさせるやうになつた。――無駄をいふことを許してくれるならば、わたしは、名代な、あの、おひさといふ女中。――六十は、もう、何年かまへに越したであらうと思はれる、このころでは馴染の客の顔さへとき/″\み忘れることがあるといふ、いつも正しく小さな髷に結ひ、襷がけで、太儀さうに、また、張合なさゝうに働いてゐるあの女中が、ところもたま/\駒形の前川といふうちの運命を寂しく象徴してゐるといひたい。

 やつこは前川にくらべると、今でも、やゝ品下つたところがある。それだけ景気がいゝ。活気がある。表の見世は入れごみだけれど、裏にまはれば、玄関、座敷、その他、芸妓を入れることの出来るやうな設備がしてある。




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