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浅草の食 - 「浅草の喰べもの」 久保田万太郎 1948(昭和23)年10月

 天勇は仲見世の裏にある古いうちである。天麩羅の外に小料理もする、気の張らない、臆劫なところのない、広小路の天芳とゝもにあくまで浅草むき、田舎の人向に出来上つてゐるうちである。広小路ゐまはり、公園ゐまはりにある、さういふうちの、代表的のものである。

 大黒屋は二三年まへまで蕎麦屋だつたうちである。蕎麦屋の時分から天麩羅を以て鳴つてゐたが、いつの間にか、店の構へをそのまゝ、蕎麦屋をよして、天麩羅屋にかはつた。屡、わたしは、その前を通つて、只今満員とした客どめの札の掲げられてあるのをみる。――蓋し、蕎麦屋へ入る気易さを以つてその暖簾をくゞることが出来るからであらう。  だが、おそらくはその真似であらう、このごろ、さうした恰好のうちが、活動写真のある近所に二三軒出来た。




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