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浅草の食・浅草広小路 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 いまでこそ「聚楽」をはじめ、「三角」あり、「金ずし」あり、「吉野ずし」あり、ざったないろ/\の飲食の場所をそこがもっているが、嘗てははえないしもたやばかりの立並んだ間に、ところ/″\うろぬきに、小さな、さびしい商人店――例えば化粧品屋だの印判屋だののはさまった……といった感じの空な往来だった。食物店といってはその浪花節の寄席の横に、名前はわすれた、おもてに薄汚れた白かなきんのカアテンを下げた床見世同然の洋食屋があるばかりだった。――なればこそ、日が暮れて、露ふかい植木の夜店の、両側に、透きなくカンテラをともしつらねたのにうそはなかった。――植木屋の隙には金魚屋が満々と水をみたした幾つもの荷をならべた。虫屋の市松しょうじがほのかな宵暗をしのばせた。――灯籠屋の廻り灯籠がふけやすい夏の夜を知らせがおに、その間で、静かに休みなくいつまでもまわっていた……




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