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浅草オペラ・レビュー - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 彼女というのは、小柳雅子というレヴィウの踊り子。十七。…… 「――いいなアというのは、どういうの。踊りが巧いという意味か。それともその子がいいという意味か……」  私は「小柳雅子はいいなア」と言って、レヴィウ・ファンの友人からそう問われたことがあった。 「――なんて言うか、うーん」

 と私は口ごもった。

 またある時、友人のレヴィウ作者に、 「あんな子供を、――君」

 と言われた。

「あんな子供、しょうがないじゃないか」 「しょうがないッて」 「てんで子供だぜ、なんにも知らないまだ子供だぜ」  咎めるように言うのに、私は

「いや……」

 と遮り、羞恥で真赤になりながら

「いや僕は、な、なにも……」

 と吃って言った。私は、――さようこの小柳雅子に関する話は、いずれ彼女が可憐な姿をこの物語に現わすのであるから、その登場の際にゆっくり語るとして、今はアパートの部屋につくねんと坐っている私の憐れむべき姿に話を戻そう。ただちょっと言い足して置くなら――先に私は外へ出るのが何か恐い感じだったと言ったが、それは、たとえば、どこそこへ自分はこれからメシを食いに行くのだと自分に言いきかし得る、ちゃんとした外出の目的がある場合は別だが、そうでなく何の目的もなくブラリと散歩に出たりすると、きまって彼女の踊っているレヴィウ劇場に何か眼に見えない、そして全く抵抗できない糸で引き寄せられるようにして、足が向いてしまうからである。あれよあれよと言っているうちに、私はレヴィウ劇場の前に立っている夢遊病患者みたいな自分を見出さねばならない。そして、たとえば蛇が自分の前にヒョロヒョロと立ち現われた愚かな蛙を造作なく呑み込んでしまう要領で、劇場は愚かな私をあっさりと呑み込んでしまう。……





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