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浅草オペラ・レビュー - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

 朝――「稽古の晩は、帰るの、泊るの」

 サ――「楽屋泊りだわ。あたしンとこなんかは、一時二時になっても歩いて帰れるけど」

 朝――「寺島じゃ歩けんかな」(そして私の方を向いて)「さっき行った楽屋へね、みんな、泊っているんですがね。――初日と二日目だけ稽古がないだけで、三日目からは、もう次の出しものの稽古がはじまるんで、うちの遠い連中は楽屋に泊るんですがね。だから、十日のうち稽古のない二日だけしか家へ帰れないわけで、一月のほとんど、楽屋泊りなんですな。みんな、よくやっているですよ。舞台だけでも大変なところへ、はねてから稽古、そして、あんな埃っぽい楽屋に、鰯の鑵詰みたいにぎっしり詰って寝て、――実際、よく身体を悪くしないもんだと思うですよ。若さですな。若いんで、みんなやっているんですな」

(私は嶺美佐子が、――浅草の踊り子は舞台の消耗品だと、T座の文芸部員に言われたと、私に語った言葉を思い出した。)

 サ――「朝野さんたら、鰯の鑵詰だなんて、ひどいことを言うわね」

 朝――「だってそうじゃないか。あんな狭い楽屋に二十何人も寝たなら――」

 サ――「鰯、そうね、そう言えば、あたしたち踊り子なんて鰯みたようなもんね」

 朝――「そうひがみなさんな」

 サ――「ひがむわよ」

 朝――「しかし、鰯は下手な鯛なんかよりうまいからね。卑下することはないやね」(煙草のやにで黒くなった汚い歯をむき出して、私にニヤリと気味の悪い笑いを投げて)「特に鯛なんかばかり食っていると、鰯が食いたくなる。食ってみると、鰯の方が鯛なんかよりずっとうまい」

 サ――「なアに、それ」

 朝――「なんでもない。とにかく、鰯と言われて怒るなと言うことさ。時にそんな話をしたら、とみに空腹を覚えてきた」





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