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浅草オペラ・レビュー・活動写真・連鎖劇 - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年10月29日
  • 読了時間: 2分

 私はK劇場の客席の一番うしろの暗がりのなかに立っていた。

 映画はもうすぐ終るのである。K劇場は映画とショウを掛けていて、六区のレヴィウ関係の人たちは、映画を添え物だと見ているが、映画関係の人たちは、映画がトリでショウは映画見物の客へのサービスだと見ている。(それは、純文学出の作家がジャーナリズムに要求されるままに、純文学作品と同時に、一方で盛んに通俗小説を書いていて、人によっては、その作家をもはや通俗畑と見、ある人はしかしやはり純文学作家だと言うのと何か似ているのである。)映画は、――江東の小学校のとある女生徒の綴り方が、妙な工合にジャーナリズムに持て囃され、その少女は一躍天才とさえ言われ、綴り方は脚色されて新劇の舞台にかけられた、その綴り方を映画化したもので、それを私はすでに友人に誘われて丸の内の映画館で見ていたが、それをK劇場で再び見るのは、あながちその映画がそれほどの魅力を持っているからではなく、私は、私にとってはいつもここの映画などは、たとえそれが傑作映画でもしょせん添え物の感じで、見たいのはショウ、正確に言えば小柳雅子の出ているショウで、でもショウだけ見に入るのは、もはや顔なじみのモギリの女の子に対しても何やら照れ臭く、そこであらかじめショウの前に入って、かくて一度見た映画を心楽しまぬ顔で見ているのである。





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