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活動写真・連鎖劇 - 「日本三文オペラ」 武田麟太郎 1932(昭和7)年6月

 ちやうどこの頃、説明者のつとめてゐる映画常設館で争議が起つてゐた。それはトーキーになつたため、説明者、伴奏音楽師なぞの馘首の問題、解雇手当等の問題から、技師、表方、テケツをも含めた争議にまでなつて了つたのである。——そして、このよく肥えた説明者は幹部級なので、勢ひ争議団でも指導的な部分にはひつてゐたが、彼は争議団員に激励演説をした。

「諸君、私は昨日、妻を実家の茨城県に帰して了つた。私は独りの軽い身になつて勇敢に戦ふためにはさうせざるを得なかつたのである。諸君も、我々の生命線を守るため、あくまでも戦ふ決意をかためていただきたいのである!」  このやうに、あらゆるものを自分のために利用しようとするのが、彼の特徴である。





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