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浅草寺(浅草観音)・宝蔵門(仁王門) - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 岩畳な古い門に下ったガラスばりの六角灯籠。――その下をくぐって一ト足そのなかへ入ったとき、誰しもそこを「仲見世」の一部とたやすくそう自分にいえるものはないだろう。黒い大きな屋根、おなじく黒い雨樋、その雨樋の落ちて来るのをうけた天水桶。――それに対して「成田山」だの「不動明王」だのとしたいろ/\の古い提灯……長かったりまるかったりするそれらの褪せた色のわびしいことよ。金あみを張った暗い内陣には蝋燭の火が夢のように瞬いている。仰ぐと、天井に、ほう/″\の講中から納めた大きな額小さな絵馬がともに年月の煤に真っ黒になっている。納め手拭に梅雨どきの風がうごかない……

 眼をかえすと、狛犬だの、ごしょぐるまだの、百度石だの、灯籠だの、六地蔵だの、そうしたもののいろ/\並んだかげに、水行場のつづきの、白い障子をたてたうちの横に葡萄棚が傾いている。――そのうしろに、門のまえの塩なめ地蔵の屋根を越して、境内の銀杏のそういっても水々しい、したたるような、あざやかないろの若葉につつまれた仁王門のいただきが手にとるようにみえる――古いみくじの結びつけられたもくせいの下の鶏の一つ二つ餌をあさっているのも見逃し難い……

 左手の玉垣の中に石の井戸がある。なかば土にうもれて、明和七年ときざまれたのがよめる……  金山三宝大荒神、――それに隣った墨色判断、――門の際につぐなんだ乞食……  わたしはただそういっただけにとどめよう。――お堂(観音さまのである)のまえの水屋の溢れるようにみち/\た水のうえにともる灯火のいまなおラムプであることを知っているほどのものでも、ときにこの「成田山」の存在をわすれるのをわたしはつねに残念におもっている。――これこそ「仲見世」でのむかしながらのなつかしい景色である……




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