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浅草神社(三社権現)・浅草寺(浅草観音) - 「幕末維新懐古談 神仏混淆廃止改革されたはなし」 高村光雲 1929(昭和4)年1月

 この浅草寺ですが、混淆時代は三社権現が地主であったから馬道へ出る東門(随身門)には矢大臣が祭ってあった。これは神の境域であることを証している。観音の地内とすれば、こんなものは必要ないはずであります。もう一つ可笑しいことには、観音様に神馬があります。これは正しく三社権現に属したものである(神馬は白馬で、堂に向って左の角に厩があった。氏子のものは何か願い事があると、信者はその神馬を曳き出し、境内の諸堂をお詣りさせ、豆をご馳走しお初穂を上げてお祓いをしたものである)。こういう風に神様の地内だか、観音様の地内だか区別がないのです。法令が出てから観音様の境内と三社様の境内とハッキリ区別が出来ましたために、諸門は観音に附属するものになって、矢大臣を取り去って二天を祭り、今日は二天門と称している。神馬も観音の地内には置くことが出来ない故、三社様の地内へ移しました。





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